相続人が行方不明

相続手続の依頼
知人の税理士から相続の依頼があった。「よくあるごく普通の相続だろう」と考えながら依頼者宅を訪ねた。対応にあたってくれたのは死亡したXの妻(A)とその弟。ひととおりの説明をした後に事情聴取に入る。
事情聴取の結果、Xには妻(A)と未成年の子供2人(B・C)がいること、過去に一度離婚暦があったこと、先妻(D)との間に実子はないがDもまた再婚であり3人の連れ子(E・F・G)がいたこと、XはDとの入籍にあたりのE・F・G3人と養子縁組をしたこと、さらにDとの離婚にあたりE・F・Gとは離縁の届出もしていることの事実が判明した。
Xは土建業を営んでおり、自宅兼事務所(時価約5000万円)のほかに見るべき資産はない。一方、住宅ローンや事業資金としての借入金が合計すると5,000万円ほどある。Aの意向としては、不動産も借金も含めてAが相続し、事業のほうは同席していたAの弟が引き継いでいきたいとのことである。債権者である金融機関もこの方針には概ね同意していた。
早速、「すべての遺産をAが相続する」旨の遺産分割協議書作成に着手したいわけだが、若干の問題をクリアしなければならない。

相続人の確定
まずは、相続権が誰にあるのかを確定させる必要がある。遺産分割は相続権をもつ全員の協議があってはじめて有効なものとなるからである。無論、A・B・CがXの相続人であることに問題はない。問題になるのはD・E・F・Gについてだが、この点は、離婚しているDに相続権がないことはもちろんのこと、離縁の届出が出ているE・F・Gとも既に法律上の親子関係は存在せず、彼らにも相続権はない。
よって、現段階では相続人はA・B・Cの3人だけであるが、登記手続には「それ以外に相続人がいないこと」を証明するために、Xの出生当時まで遡った戸籍謄本の提出を求められる。「知らない相続人が出てくる可能性も有りますからね」と冗談交じりにAに伝えた言葉がその後に大問題に発展しようとは、その場にいた誰もが想像していなかった。

未成年者と利益相反行為
この点は後述するとし次の論点を検討する。次の問題は、Xが残した2人の子供B・Cが未成年者であることだ。民法では、未成年者を「判断能力が十分に備わっていない者」という類型でひとくくりにし、法律行為(契約の締結など。遺産分割協議に参加することも当然に含まれる)をするには親権者の同意を必要としている。
父(X)亡き本件では、同意を与えるべき親権者は母(A)ひとりである。一方、遺産分割協議はA・B・Cの3名で行うことになるのだが、仮にB・Cについて親権者Aに同意権があるとすれば、事実上、AはB・Cの真意の如何にかかわらず、自分の意のままに協議をまとめてしまうことができる。「判断能力が十分に備わっていない」未成年者に一定の保護を与えようとした法律の趣旨に反し、B・Cが不利益を被るおそれが生じてしまうことになるのである。
このように、形式的な判断から、親権者である父・母と未成年者である子供との間で利害が対立することを「利益相反」という。利益相反行為については親権者の同意権は失われ、代わりに子供のために「特別代理人」と呼ばれる者を家庭裁判所から選任してもらい、特別代理人が親権者として遺産分割協議に参加することになるのである。無論、Bについての特別代理人とCについての特別代理人は別人でなければならない。
通常の実務では、申立にあたり特別代理人候補者を挙げている。遺産分割のケースでは、祖父母や親戚などに依頼することが多い。家裁としても、添付書類等から未成年者の利益が害されないことが分かれば(この点は次項で説明)、推薦した候補者をそのまま選任することがほとんどである。
本件では、同席していたAの弟(M)が特別代理人への就任を承諾してくれた。もう1人はAの姉(N)に依頼することにした。

遺産分割の内容
@ 負債の遺産分割
遺産には資産と負債がある。資産については相続人が自由に協議し、現実に相続する者を決定できる。これが遺産分割協議である。一方で負債は、原則として遺産分割の対象にはならない。仮に資力のない相続人が負債のすべてを相続してしまえば、債権者としては回収不可能の事態が生じてしまうからである。よって本来、負債は法定相続分(配偶者が半分。残りを子供が等分)に応じて自動的に分割されることとなっており、特別に遺産分割をする場合には債権者の承諾が条件となるのである。
さて本件では、債権者にとって支払能力もないうえ何の資産も相続しないB・Cが負債を相続したとしても回収はできない。資産も含めてすべてAが相続するという協議案は債権者にとっても承諾を得られるものである。
A 特別代理人の立場
一方、特別代理人候補者M・Nの立場としてはどうか。M・NはB・Cの利益を考慮すべき立場にあるから、Aがすべての遺産を相続し、B・Cが何も相続しないというのはいかがなものかという問題が残る。
さらに、家裁に提出する特別代理人の選任申立書には、このような内容で遺産分割協議をするという協議案を事前に作成し、添付書類のひとつとして提出しなければならない。裁判官は、添付された協議案のとおり遺産分割をした場合に未成年者の権利が不当に害されないかどうかを審査した上で、選任の決定を下すのである。よって協議の内容はどんなものでもいいわけではなく、未成年者の利益が確保されているかという点について裁判官を納得させられるものでなくてはならないのである。
この点はしかし、本来であれば法定相続分で計算したおよそ1,250万円もの負債を引き継がなければならないB・Cにとって、負債を引き継がなくていいのであればいっそ資産ごとAに引き受けてもらったほうが有利であると考えられる。協議案はM・Nにとっても妥当な案であろう。
なお、念のため、Aが負債のすべてを引き継ぐことについて、債権者の承諾書を家裁に提出している。

予期せぬ相続人の出現
ひととおりの問題が解決できたため、必要書類の取寄せと家裁への申立の着手を告げてA宅を後にし、相続人を確定させるためにXの出生までの戸籍集めに取り掛かった。
ところが、取寄せの課程で、Xの離婚暦は合計3回あったことが判明したのだ。過去に4人の女性と入籍したことのあるXは、2人目の女性(H)との間に2人(I・J/当時34歳と31歳,共に北海道在住で家庭をもっている)と、1人目の女性(K)との間に1人(L/当時37歳,東京都杉並区在住の一人暮らし)の子供をもうけていたのである。「知らない相続人が出てくる可能性も有りますからね」という私の冗談が、深刻な問題として浮かび上がってきたわけである。
I・J・Lの3人はXの葬儀にも参列しておらず、無論、Aとも一切面識がない。長年にわたりXとも音信が途絶えていたようであるが、それでも子供は子供である。法律上は立派な相続人であり、遺産分割協議に参加する権利を有しているのだ。
私は直ちにAにこの事実を報告し、遺産分割協議書への調印に協力してもらわねばならないことを説明した。しかしこのような場合、どんなに丁寧な挨拶をしたところで「実印をついて印鑑証明を送ってくれ」という要求に応じてもらうことは至難である。そこで、Aの自筆で「あなたの父親が他界したこと。相続の手続中にあなたの存在が判明したこと。葬儀は終了したがぜひ線香をあげてもらいたいこと」だけを記載した手紙を書いてもらい、3人の現住所に送付してみることにしたのである。

I・Jからの連絡
3人の内、I・Jからは発送後間もなく、2人を代表してIからA宛に連絡があった。Iの話では、Xの存在は知っていたが、20年以上にわたり一切連絡を交わしたこともなく、いまさら北海道から墓参に出て行くつもりはないとのこと。しかし、自分たちの存在のせいで無関係なAらに迷惑をかけるのでは申し訳ないから、必要な手続きには協力したいとの返事であった。
Aから報告を受けた私は、早速、必要書類を整え、事情説明と手続きへの協力に感謝する旨の手紙を添えてI・Jに送付。程なく実印の押印された分割協議書と印鑑証明書が返信されてきた。
ほっと胸をなで下ろした瞬間であった。

音信不通のL
一方、同時に発送したLへの手紙は、I・Jとのやり取りが完了する少し前になって「転居先不明」を理由に差し戻されてしまう。Lが住民登録の異動手続をとらないまま転居しているようである。考えられることは、一人暮らしをしていたLが実家のある北海道へ戻っているか、ひょっとすると借金に負われて夜逃げをしたか。前者であれば親元へ連絡を取れば居所も分かるはずなのだが・・・ どことなく嫌な予感がしたのは、取寄せた戸籍から読み取れるLの生い立ちによるものであったのかもしれない。
LはX・Kとの間に生を受けた。出生地は北海道根室市である。戸籍からでは理由まで読み取れないが、2歳の時には養父母の下へ預けられ、その後も養父母の元で育てられたようである。18歳の時に上京したLは、成人して間もなく結婚したが3年程で離婚。子供はもうけていない。その後は杉並区内のアパートで一人暮らしをしている。無論、Lがいつからアパートを離れて生活しているのかは戸籍からでは読み取れない。
いずれにしても、Lの協力なくして本件の遺産分割は成立し得ないのである。すがる思いでLの実母・養父母・別れた元妻・出身地の根室市周辺に居住している親戚ら宛に、同様の手紙をAから発送した。
しかし、回答があったのは養父だけ。回答の内容も「既に長期間にわたり音沙汰がなく、連絡先も一切分からない」とのことであった。

不在者財産管理人選任の申立
@ 不在者財産管理人と失踪宣告 
ここまで来ると、Lと連絡を取ることは不可能であるという思いが強くなる。やむなくAには次の策を説明しなければならない。
これが「不在者財産管理人選任の申立」である。
たとえ音信不通のまま行方不明になってしまった者であっても、所有権がその者にあることが明らかな財産を他人が勝手に処分した場合、刑法上の罪に該当するおそれがある。そこで民法は、「不在者」が残した財産を管理すべき者を裁判所が選任し、一定のルールの下で財産管理を命ずる規定を設けている。
不在者財産管理人の選任申立は特別代理人と同じで家裁が担当する。管理業務を始めた財産管理人は、7年間の経過を待って「失踪宣告」の申立をやはり家裁に対し行うことができる。行方不明者について「失踪」が宣告されると、この者は法律上「死亡」したとの扱いがなされるため、管理してきた財産を相続人に引渡し、無事に管理業務を終結することができるのである。
A Lの財産管理人を選任
家裁が不在者財産管理人を選任するにあたっては、@で説明したように、将来不在者が失踪宣告によって死亡したものとの扱いを受けるおそれがあることから、慎重な姿勢で事を進めていくのが通例である。行方不明が明らかであっても、少なくとも現在の住民登録された住所地の実態調査は不可欠である。
相次ぐ障害でくじけそうになるAに「ここまで来たんだからもうちょっと頑張りましょう。ここを乗り切らなければ名義変更はできませんよ」と励まし、杉並のアパートを訪ねてもらうことにした。
Aの報告では、該当のアパートの郵便受けにはLの名前がいまだに掲げられているが、郵便受けの中にはサラ金業者からの督促状が山になっているとのこと。隣の部屋の住人によると半年ほど前から人の出入りの気配がないそうである。私の予感は見事に的中してしまった。Lは多額の借金を抱え、支払いができずに夜逃げをしたことにほぼ間違いはないだろう。念のため、隣の住人から聞いた大家さんに電話をかけたところ、「家賃は随分前から滞納気味でここ1年はまったく支払いがなく困りきっている」との回答であった。
これで資料はそろった。Aの現場調査報告書と大家さんからの事情聴取報告書・督促状の詰まった郵便受けの写真・転居先不明のスタンプがおされたL宛の郵便物・養父母や実母らとのやり取りをまとめた経過報告書。これらを資料としてまとめ、Lについての不在者財産管理人選任申立を行った。
B 管理人には誰が?
残った問題は管理人の成り手である。特別代理人の場合と同様、管理人候補者を申立にあたって推薦するのが実務の通例ではあるが、1回だけの特別代理人とは違い、不在者財産管理人は期間も長く、裁判所への不定期的な報告義務もある。また法的な問題も多々含まれているため法律専門職が選任されることが望ましい。
財産管理人への報酬は裁判官が決定することになっており、不在者の財産の中から支弁される。ところが本件では、不在者の財産といえばXが残した遺産の法定相続分である1/10と、サラ金からの借金が多額にあるだけ。Xの遺産といっても資産と負債はプラスマイナスほぼ0であるから、管理人への報酬財源が見込めない。以上の状況で弁護士が管理人への就任承諾をするとは考えられず、家裁とも相談した結果、状況を最もよく知る私が管理人となること、報酬は別途Aから支払っていただくことで話がまとまった。

権限外行為の許可申立
管理人の権限はあくまで財産の管理であってそれ以上は認められていない。Lの財産管理人としてXの遺産分割協議に参加することは、管理行為の範囲を超えた財産の処分行為に該当するから、家裁から「権限外の行為をすることについての許可」をもらわなければならない。
この場合も、Lに不利益とならない遺産分割であることが条件であることは特別代理人の場合と変わらない。この点は、先のM・Nの特別代理人選任と同様であるから、問題なく許可は下りた。
これでやっと遺産分割ができる。先に取寄せておいたI・Jの署名捺印のある遺産分割協議書と、A・M・N・私の署名押印した遺産分割協議書の2部をセットにし、法務局へ名義変更の申請を行った。
税理士の依頼から数えて半年以上にわたる一連の手続きの最後は、「所有権移転」とごくごく平凡に記載された登記簿謄本を受け取って完了したのである。


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