破産事例B 強制執行と債務者の生存権 〜 差押え禁止債権範囲変更の手続き
「強制執行と債務者の生存権の保障」
1 債権回収のための強制執行〜「差押え」
@ 「差押え」の登記
昨今、不動産取引の一端に携わりながら、いわゆる「事故物件」と呼ばれる不動産の取引が非常に多いことを感じています。複数の担保権が存在するだけでなく、「差押」「仮差押」「仮処分」といった登記名義人に対して処分の制限を命じる旨の登記がなされているものも頻繁に目にするようになりました。
「処分制限の登記」は、登記の一種ではありますが私たち司法書士が関与するものではなく、裁判官の命令に基づいて裁判所書記官が手続を行います。この内「差押」とは、いわゆる“強制執行”と呼ばれるものです。金銭債権(貸付金に限らず、未払いの家賃や賃金・返還されない敷金・回収できない売掛金など、あらゆる金銭の請求を含みます)が弁済されない場合に、債務者の所有する財産を裁判所という公的機関を通じて強制的に売却し、売却代金から回収を図る手続のことです。
裁判所に差押命令を出してもらうための条件は、民事執行法という法律に規定されています。抵当権・根抵当権などの担保権を登記している債権者は「不動産登記簿謄本」の提出により、あらかじめ公証人役場において公正証書を作成している債権者は「公正証書」の提出により、直ちに差押命令を発令してもらえます。ところが、このような保全策を何もしていないような債権者(「一般債権者」と呼んでいます)の場合、まずは裁判をおこし、裁判所から「債務者の**さんは債権者の○○さんに金×円を支払いなさい」というお墨付きを取得しなければなりません。このお墨付きのことを法律は「債務名義」と呼んでおり、いわゆる判決のほか、調停調書・和解調書と呼ばれるものや支払督促と呼ばれるようなものが債務名義に該当します。取得した債務名義の提出により、はじめて差押命令を発令してもらうことができるのです。
差押命令の対象が不動産の場合、「差押の登記」をすることにより「この不動産は自由に処分できません」という情報を公示し、以後、取引関係に入ろうとするものに対し注意を促す役割を果たすこととなるのです。
A 動産や債権も差押命令の対象に
一方、差押命令の対象となるのはもちろん不動産だけに限定されません。車・貴金属・家具などの動産に対する差押命令が発令された場合、執行官という公務員の立会いのもと、対象の動産を債務者の管理下から撤去し、専門の買受業者に売却する方法で債権回収に充てます。
給料・電話加入権などの債務者自身が他の第三者に請求し得る権利を差押えることもできます(「債権差押命令」と呼びます)。たとえば、A(債権者)がB(債務者)に50万円を貸し付けており、BがC(「第三債務者」と呼びます)に80万円を貸し付けている場合、裁判所はCに対し「Bに払うべき80万円の内50万円はAが差押えたから、Bに対して30万円しか支払ってはいけない」という発令をします。仮にCが命令に違反してBに80万円全額を支払ってしまった場合、その後にAから50万円の支払いを求められたCは「既にBに支払った」という理由でAへの支払いを拒むことはできません。第三債務者に債務者への支払禁止を命じることで、間接的に債権者の回収を実現しようとするのが債権差押の制度です。
このように民事執行法という法律は、債権者の権利を満足させるための制度として強制執行を定め、契約を守らない債務者から強制的に財産を引き上げるスキームを用意しているのです。
2 強制執行を受ける債務者の生存権
その一方、憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とし、いわゆる「生存権」の保障をうたっています。憲法は日本における最高法規として位置付けられておりますので、民事執行法による強制執行もまた憲法25条に抵触しない範囲内で許されるものと解釈しなければなりません。債務者の「健康で文化的な最低限度の生活」水準を奪うような強制執行は認められないわけです。そこで債務者の生存権を確保するため、一定の生活必需品や最低限の生活費については、強制執行(差押え)の対象にならないという規定が定められているのです。
@ 差押禁止動産
動産が強制執行の対象となることは既にご説明しましたが、債務者の最低限度の生活保障、信教・教育上の配慮、社会福祉上の考慮、災害防止設備維持等の観点から、法律は一定範囲の動産について差押えを禁止しています(民事執行法131条)。
以下に列挙したものが「差押禁止動産」であり、これらはたとえ債務者の同意があったとしても差押えることはできません。
@)「生活に欠くことができないもの」
東京地裁では平成8年4月から、実務上、次の動産を差押禁止としています。
整理ダンス *洗濯機(乾燥機付きを含む) ベット
*鏡台 洋タンス 調理用具 食器棚 食卓セット
*冷蔵庫(容量は不問) *電子レンジ(オーブン付きを含む)
*瞬間湯沸し器 *ラジオ *テレビ(29インチ以下)
*掃除機 冷暖房器具(エアコンは除く) *エアコン
*ビデオデッキ *印の物が複数ある場合には1点に限る
イ)「2ヶ月間の食料及び燃料」
ウ)「1ヶ月間の必要経費として認められる金銭」
民事執行法施行令1条により21万円と定められています。
エ)「職業に必要な動産」
オ)「実印・銀行印・職印など日常生活や職業に必要な印鑑」
カ)「仏像・位牌など」
キ)「系譜・日記・商業帳簿など」
ク)「勲章・トロフィーなどの名誉を表章するもの」
ケ)「学習に必要な書類・器具」
コ)「発明・著作に係る物で未公表のもの」
サ)「義手・義足・補聴器など身体の補足に供する物」
シ)「法令によって義務付けられた消防器具・避難器具など」
A 差押禁止債権
(1)社会保障関係の差押制限
社会的弱者に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障するための制度として、国は各種の社会保障の制度を定めています。主なものとして次のようなものがあり、これらが差押えられると債務者は「最低限度の生活」すら維持できなくなります。このためいずれも差押えが禁止されております。
年金受給権(国民年金法24条・厚生年金保険法41条)、各種保険金の給付権(国民健康保険法67条・雇用保険法11条・失業保険法47条の2・自動車損害賠償保障法18条ほか)、各種手当(母子保健法24条・児童手当法15条・児童扶養手当法24条・身体障害者福祉法45条・生活保護法58条ほか)など
(2)年金担保による借入れ
(1)の内、しばしば問題となる「年金担保による借入れ」について若干触れてみたいと思います。将来年金を受給する権利は(1)でご説明のとおり差押禁止債権となっており、法律に規定のあるほかは担保として差し入れることができません。一般的な年金担保融資は年金福祉事業団(平成13年4月1日に解散。現在は年金資金運用基金が業務を承継)や国民生活金融公庫が行なっているもので、サラリーマンの方の場合には住宅資金用の低利融資として有効に利用されている方も大勢いらっしゃいます。
ところが近年、関西地区を中心に年金証書と年金振込口座の通帳・印鑑を高齢の債務者から預かり、実質的に年金受給権を担保にしている業者が横行しています。年金受給権を担保に取ることは国民年金法・厚生年金法に違反する行為ですし、消費者金融など貸金業者を監督する金融庁から出されている事務ガイドラインにも「印鑑、預貯金通帳・証書、キャッシュカード、運転免許証、健康保険証、年金受給証等の債務者の社会生活上必要な証明書等を徴求すること」が禁止事項として明白に掲げられております。
多くの年金担保貸付による事例は、債務者の方から頼んで借りに行くのではなく、むしろ業者の方から違法であることを承知の上で積極的な勧誘がなされている点で被害が大きくなっているのです。私自身も、過去に一度同様の相談をお受けした経験があります。業者にとって確実に回収できる年金は担保として魅力なのでしょうが、年金生活者にとっては唯一の生活の糧であり「最低限度の生活」を容赦なく奪い取る行為と位置付けることができるのです。
B 給与等の差押禁止の範囲
サラリーマン・パートタイマー・公務員などの場合、生活の唯一の拠りどころとなる給与等の全額について差押えが認められてしまうと家族を含めた生活の基盤が失われてしまいます。このため法律は、次のような差押制限を定めています(民事執行法152条・民事執行法施行令2条)。
月の手取額が28万円以上の場合
・・・ 21万円を控除した残額のすべてを差押えることができる
**21万円を「最低限度の生活費」と認定し、差押制限の対象とする**
月の手取額が28万円以下の場合
・・・ 手取額の1/4の金額だけが差押えの対象となる
**手取額の3/4の金額を「最低限度の生活費」と認定し、差押制限
の対象とし、1/4を超えた差押えを認めない**
例えば、手取額が30万円の方の場合21万円に差押制限がはたらくため、差押可能額は9万円となります。21万円は生活費として保証されることになります。一方、手取額が25万円の方の場合、差押可能額は1/4に相当する62,500円だけで、残りの187,500円には差押制限がはたらくため、債務者の生活費として保証されることになるのです。ここにいう手取額を算定するには、所得税・社会保険料・厚生年金などの法定控除される金員のほか、交通費などの実費弁償の性格を持つ金員、労働組合費・親睦会費などのように半強制的に控除される金員については差し引くことが認められますが、財形積立・自動車保険料などのように債務者が任意に支払っているものについては差し引くことができません。
また、給与と賞与はそれぞれ1/4まで差押えることができますので、ボーナス月には両方から差押相当額が差し引かれることになります。退職金については、一律に給付額の3/4に差押制限がはたらきますので、差押可能額は1/4までということになります。
一方、個人事業主の場合は一般に複数の取引先をもっており、一取引先への売掛債権が唯一の生活の拠りどころとなるわけではないので、上記のような差押制限ははたらきません。
C 差押禁止債権の範囲変更
(1)差押えられた債務者の最低限度の生活の保障
多重債務に陥り延滞納が発生している場合には、債務者が勤務先から得る給与等の基本的生活を支える金員が差押えられることがしばしば見受けられます。また、破産申立によって借金整理を図ろうとする場合も、破産手続が完了するまでは債権者による給与差押が判例上認められているため、経済的再生を目指して破産に踏み切った債務者の更正を著しく阻害する状況が多々見られます。
多重債務者に陥っている方々はもともとが低所得である場合が多く、しかも安定した収入が得られない場合も少なくありません。このため、たとえ破産申立により返済から解放されたとしても、決して生活状況は好転せず、相変わらず金銭的に余裕のない生活を強いられているのが一般的です。このような状態で給与差押を受ければ、たちまち逼迫した生活状況に陥ることは明らかであり、経済的更正を旨とする破産・免責等の法的救済手段の趣旨にそぐわない結果となるばかりか債務者やその家族の「最低限度の生活」を奪い再び借金地獄に追いやることにも繋がりかねません。
そこでこのような場合には、裁判所に「差押え禁止債権の範囲変更(取消し)の申立」ができます(民事執行法153条)。申立を受けた裁判所は差押えをした債権者と差押えを受けた債務者の生活状況やその他の事情を考慮して差押命令の全部または一部を取消し、差押えの禁止される債権の範囲を拡張することができます。
(2)事件簿より 〜相談事例の紹介
以下、実際に筆者が扱った実例をご紹介します。
【家族構成】
夫 A(43歳)大工 借金有り 破産申立
本人 B(42歳)会社員 借金有り 破産申立
長男 C(17歳)高校3年
二男 D(16歳)アルバイト
長女 E(13歳)中学2年
二女 F( 9歳)小学3年
@】事案の概要
夫Aはいわゆる一人棟梁でしたが、不況の影響で仕事はほとんどなく1月あたりの収入は3〜4万円にすぎません。一家6人の生活は二男Dのアルバイト収入5万円ほどとスーパーマーケットで販売員をしている本人Bの収入10万円ほどに頼りきりの状態でした。夫婦二人の借金も慢性的生活苦に起因するものでした。
平成11年7月に夫婦二人の破産申立を行い、9月には破産宣告が出ましたが、Bの債権者の一人であったX信販があらかじめ公正証書を作成していたため、この公正証書に基づき10月になってBの勤める会社に給与差押命令(差押金額130万円)が送達されました。幸いなことに会社の上司はB一家の事情ややむを得ず破産・差押えの事態に至ったことを十分に理解してくれましたが、何分にも月々25,000円(10万円×1/4)が差押えられては一家6人の生活が成り立ちません。そこで差押禁止債権の範囲変更を求める申立に及んだわけです。
A】差押禁止債権の範囲変更の申立
申立にあたっては、債務者の世帯全体の生活状況を具体的な資料で裏づけを取りながら裁判所に提示し過なければなりません。家族の中で収入のある者全員から、給与明細書や課税証明書を取寄せたうえ、実際に一家全員の生計維持に必要な費用を算出します。生計必要費についても、裁判所は細かなチェックをします。場合によっては、月々の光熱費の領収書や預金通帳の写しの提示を求められることもあるようです。
「差押え」自体は、債権者に与えられた正当な権利ですので、これをさらに制限する必要性(=最低限度の生活を維持できない事情の存在)については、厳しく審査がなされることになるのです。この結果【(収入)−(生計必要費)<(差押金額)】となる場合には、差押えにより債務者一家の「最低限度の生活」に著しい支障が生じる可能性が出てくるわけです。
B】生活保護基準との比較
なお、ここで算出された「債務者一家の生計必要費」が、標準的世帯と比較をして多いのか少ないのかを検討しておく必要があります。いくら「毎月の家計費としてこれだけかかる」と言っていても、過度に贅沢な暮らしをしているのでは裁判所を説得することはできないからです。ここで参考になるのが「財団法人社会福祉振興・試験センター」が発行する「保護の手引き」という本です。この本の記載にしたがって計算をすると、厚生労働大臣が定める各世帯の生活保護基準額が求められます。借金返済に追われている世帯では生活費を大幅に切り詰めていることが通常ですので、実際の生計必要費が生活保護基準額を下回っていることが一般的でしょう。
筆者の事案でも、生活保護基準額が234,540円であるところ、実際の生計必要費は約18万円に抑えられておりました。世帯全体の収入が18〜19万円/月ですから、まったく余剰資金のない生活を強いられていることになりますし、生活保護基準から考慮してもかなりの倹約を強いられていると言うことができるわけです。
C】顛末
本申立に対し裁判所からは、「差押禁止債権を本人Bの手取額全部とする」旨の決定が12月上旬に出されました。10月・11月の給料から合計5万円が強制執行されましたが、12月のボーナスには何とか決定が間に合いましたので、ボーナス全額を受給することができました。破産事件も翌年2月には無事に完了しています。
Bは給与の全額を生活費として保証されたことで、X信販にとって正当な権利であるはずの差押えは実質的に失効してしまったことになります。X信販の「回収できない不利益」よりも、B一家の「最低限度の生活の維持」をより重視すべきという裁判官の判断が下されたことになるわけです。