「敷金返還請求訴訟」@ 〜大家さんはいくら返還すればいいの? 

昨今は、賃貸物件も供給過剰の状況にあり、大家さんよりも借家人の方が強い立場にある、なんてことをよく耳にします。世の中の法律ブームの影響も手伝ってか、借家人による敷金返還請求訴訟の件数も急増しています。
私自身も、簡裁代理権を取得後、2件の敷金返還請求訴訟に携わりました。いずれも訴えられた大家が依頼人でした。実はこの2件の事件は、いずれも相手方の代理人に司法書士(2件とも同一人物)が就任していました。司法書士同士が代理人として法廷に立つというのは少し前では想像もできないことであり、簡裁代理権を取得して間もない私たちにとっては、なかなか感慨深いものでした。
余談はこの位にし、本題に入ります。

1 敷金の法的性質
敷金の法的性質は、「賃貸人が賃借人に対して取得する債務の担保を目的とする停止条件付返還債務を伴う金銭所有権の移転」と定義付けられます。この定義からは、いくつかの論点を抽出することができます。
@「債務の担保」・・・敷金は、賃貸人が「債務の担保を目的とする」ために、賃借人に対して差し入れを求めるものです。敷金が「債務の担保」という法的性質を有するために、賃貸人は、敷金返還にあたり、一定の修繕費等を控除して賃借人に返還することが認められるわけです。
問題となるのは、担保の目的となる債務の範囲をどのように考えるべきかという点ですが、この点は、まさに敷金返還訴訟のポイントであり、項を替えて詳述することとします。
A「停止条件付返還債務」・・・停止条件とは、将来ある事実が発生した場合まで、契約上の効力(ここでは「敷金の返還」)の発生を留保することを意味します(民法127条1項)。条件が成就する時期について判例は、「賃借物返還時」としていますから(最判昭和48年2月2日)、賃借人による賃借物の返還(=明け渡し)がなされてはじめて、賃貸人に敷金の返還債務が発生するものと理解できます。
なお、返還すべき金額は、原則として賃借人から差し入れられた敷金全額であり、例外的に@に該当する債務に相当する金額が控除できるだけです。この「原則、全額返還」という点は、敷金返還訴訟を理解するうえで常に頭に置いておかなければならない点ですので、ご注意ください。
B「所有権の移転」・・・賃借人より差し入れられた敷金は、単に賃貸人に預けられているだけでなく、その所有権自体が賃貸人に移転するとするのが判例・通説の立場です。よって賃貸人は、賃借人より差し入れられた敷金を、常に銀行口座上で管理しておく義務はなく、単にAの時期に、賃借人に返還する義務だけを負うことになります。
所有権を有する賃貸人は、敷金を自由に利用し、自由に処分することができることは言うまでもありません。

2 敷金以外の金銭の性質
賃貸借契約の締結に伴って交付される金員には、敷金のほかにも、権利金、礼金、保証金などがあります。これらは、その法的性質から、敷金とは明確に区別されていますので、以下、それぞれについて簡単に説明しておきます。
@「権利金」・・・権利金とは、賃借人が契約の目的物である建物に対し、借家権という権利を設定することの対価として、賃貸人に支払われる金員の総称と説明されます。権利金には、下記のように多種多様な法的性格を有するものが存在するため、一概にこれを定義付けすることは困難なのですが、借家権設定の対価として支払われる「一時金」であって、原則として明け渡し時にも賃借人に返還されない点が、敷金とは大きく異なります。
権利金には、下記のような種類のものが存在します。
@)営業権の対価(水商売等でよく利用されるようです)
A)賃料の一部の一括前払い
B)賃借権そのものの対価
C)場所的利益の対価
D)賃借権に譲渡性を付与した対価(契約が長期にわたる賃貸借契約書では、「誰が借主か」賃貸人にとって重要な関心事となります。このため、賃借権の譲渡・転貸には、原則として賃貸人の承諾が必要なのですが(民法612条1項)、その譲渡・転貸を賃借人の自由意思に委ねてしまう特約が締結されるような場合です)
A「礼金」・・・賃貸借契約成立の際、賃貸人に対し謝礼として支払われる金銭で、権利金同様に明け渡し時に賃借人には返還されません。
礼金について最近の判例は、「賃借人に不当な負担を課す」ものと評価し、これに相当する全額について賃借人への返還を命ずる傾向が大きいようです。実務上も、物件余りと言われている最近の不動産事情の下、最近では礼金の支払いを伴わない賃貸借契約が多くなりました。
B「保証金」・・・保証金は、事務所や店舗の賃貸借契約で多く利用されます。通常は、全額について返還が予定されていますが、その一部が敷金の性質を有しているような場合もあり、この場合は敷金部分についてだけは、賃借人対する債務の担保に充てることができます。契約ごとに当事者の意思を確認する必要があるわけです。

3 敷金から控除される債務
賃貸人は、賃貸借契約から生ずる賃借人に対する債務を控除し、その残額を賃借人に返還しなければならないことを前項で説明しました。ところで、同じく先述のとおり、賃貸人は原則として敷金全額を返還しなければなりません。したがって、敷金で担保される債務を余りに広範に認めてしまうと、この原則と例外が逆転してしまい、法が考えるそもそもの敷金の性質から逸脱する不当な結果を招きかねません。このため、敷金によって担保される債務には、以下に指摘するような一定の制限が課されることとなるのです。
(1)期間
賃貸借契約は、賃貸期間の満了によって終了し、賃借人には、契約期間の満了と同時に目的物の明け渡し義務が課せられます。賃貸借契約の本質は「物を借りて返す」ことにありますから、明け渡しを終えることが賃借人の責務であると考えられるのです。
したがって、敷金によって担保される債務もまた、契約期間中に生じた債務だけではなく、契約終了後明け渡し完了までに生じた債務も含まれると解されます。そのように解さなければ、契約期間が満了後も不当に明け渡しに応じない賃借人が、契約終了後明け渡し前までの間に目的物を故意に汚損・毀損したようなケースで、これに伴う修繕費を敷金によって控除することいができないという、賃貸人にとって極めて不利益な結果を招きかねないからです。
敷金が目的物の明け渡し時までの債務を担保する結果、賃借人の敷金返還請求権が効力を生じる時期も、目的物の明け渡し後となるわけです。
(2)範囲
賃貸借契約を規定する民法の条文からは、以下の4つの債務について、敷金で担保される債務に含むことができます。

  1. 賃料支払債務(民法601条)
  2. 善管注意義務違反により発生した損害賠償債務(民法400条,415条)
  3. 原状回復債務(民法616条,598条)
  4. 契約終了から明け渡しに至るまでの賃料相当額の損害金支払債務(民法709条)

  この内、Aの例として考えられるのは、賃借人の責めに帰すべき事由により、目的物である建物が汚損・毀損された場合等が考えられるでしょう。
問題になるのはBの原状回復債務です。賃貸借契約は「借主において使用収益すること」が前提の契約であり、これが賃貸借契約の特性と言えます。一定期間にわたって使用収益を行う以上、賃借人が「借りた当時の状態」を保つことは不可能なのです。であるならば、賃貸借契約における原状回復債務を検討する際には、「そもそも建物は、何ら使用しなくとも、経年変化、自然劣化、自然損耗する」という事実を考慮しなければならないことになるのです。
つまり、原状回復費は、全額が敷金によって担保されるのではなく、担保される部分と担保されない部分に分けて考える必要が生じるのです。
(3)「原状回復」の修正(ガイドライン)
敷金清算の場面では、しばしば、原状回復費の負担で争いが生じますが、この点は国土交通省住宅局・財団法人不動産適性取引推進機構が取り纏めた「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(以下「ガイドライン」という)を基準に考えるべきです。
ガイドラインでは、損耗の種類を以下の3点に大別しています。

  1. 建物の自然的な劣化・損耗(経年劣化=自然損耗)
  2. 賃借人の通常の使用により生ずる損耗等(通常損耗)
  3. 賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他の通常の使用を超えるような使用による損耗等

  ガイドラインは、以上の内、@及びAの損耗の全部を賃貸人が負担すべきと定め、Bの損耗のみを賃借人の負担と定めます。損耗とは、言い換えれば「建物価値の減少」です。建物が賃借人により使用収益される過程で、@あるいはAのような価値の減少は、当然に発生するものですから、賃貸借契約の性質上、このような損耗を賃借人の負担とすることは、賃借人に過大な負担を強いるわけです。さらに言えば、@あるいはAのような価値の減少に相当する部分は、月々の賃料によって補われるとするのが判例の立場でもあるのです。
したがって、賃貸人が敷金をもって控除できる原状回復費の範囲は、Bに相当する部分だけと結論付けることができるのです。
(4)訴訟の局面では
実際の裁判実務も、上記ガイドラインの考え方に従って、賃貸人が原状回復費として支出した金員が@乃至Bのどの損耗に当たるのかを事実認定し、賃貸人負担部分と賃借人負担部分との振り分けを行っていくことになります。
しかし、訴訟の局面では、「賃借人の責めに帰すべき損耗か否か」の立証が課題として浮かび上がります。通常、敷金返還請求訴訟は、賃借人から提訴されます。この場合賃借人は、賃貸人が敷金から控除した項目の内、本来であれば賃貸人負担であるものを逐一指摘します。指摘された項目について裁判官は、それが@あるいはAに該当するのか(賃借人の責めに帰すべき損耗ではないこと)、Bに該当するのか(賃借人の責めに帰すべき損耗に該当すること)を判断します。では、@あるいはAなのか、それともBなのかは、賃貸人と賃借人のどちらが立証責任を負うのでしょうか?
この疑問の答えは、先述した「原則、全額返還」という敷金の法的性質から導かれる大原則に立ち戻って考えなければなりません。つまり、賃貸人において、賃借人の故意あるいは過失があったために発生した損耗であることを、証拠によって固めなければならないのです。明け渡しに際して、建物内部の写真撮影をしているような場合には、これが有力な証拠となり得ますが、実際にはこのようなケースは少なく、現実には、賃借人の言い分が認められる裁判例の方が多いようです。
アパート経営等をされている大家さんは、敷金清算条項を見直してみることも必要なのではないでしょうか。

次回も敷金問題を取り上げたいと思います。次回は、敷金清算に関する特約の有効性について検討することにします。

→続き「敷金返還請求訴訟」A 〜原状回復特約の有効性

 

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