仮登記売は危険?〜農地の売買をめぐるトラブル

仮登記売買の危険性

1 最近の相談事例より
「お隣の方から農地を譲って欲しいと言われています」つい先日に受けた相談である。
事情聴取の結果、該当の土地は市街化調整区域内に存在する畑で、相談者の父親(3年前に他界)名義であるとのこと。幹線道路沿いに存在するこの土地は、2件の店舗に挟まれた30坪程度の土地であり、現状もこの2件の駐車場用地として利用されている。今般、それぞれの店舗経営者より、この土地を縦半分に分筆し双方で買い取りたいとの申出を受けたが、名義変更は可能かとの相談であった。
早速、登記情報提供システムを利用し該当土地の登記記録をダウンロードする。このシステム、稼動当初に比べれば随分と使い勝手もよくなってきたが、光回線を使用する当事務所でさえ、すべてダウンロードされるまでの時間には苛立ちを感じることも少なくない(もっとも、せっかちな性格に因るものかもしれないが・・・)。その間、希望する名義変更への障害を頭の中で巡らせていた。名義人が他界している・・・遺産分割協議は可能か? 調整区域の農地・・・農地法の許可が得られるか? 除外が必要か?・・・幹線道路沿いとのことだから白地と思われるが。そんなことを思い浮かべている内に、登記記録が入手できた。  
登記記録によると、確かに地目は畑であり、坪数もそのとおり。所有権の名義人も相談者の父親名義であった。しかしこの土地には、私が思いも寄らなかった名義変更の実現を阻む要因が存在していたのだ。

2 仮登記の存在
〈図PDFファイル〉は、このときの登記記録の抜粋である。これによると、昭和34年12月5日、相談者の父親(A)を売主、Bを買主とし、Bが農地法第5条所定の許可を得ることを条件とする条件付売買契約が締結され、同日、これを登記原因とし「条件付所有権移転仮登記」の申請が行われたことが読み取れる。
ご承知のとおり、市街化調整区域内に存在する農地の売買契約については、農地法所定の許可が必要である。この許可は契約の「効力要件」と考えられていることから、許可が得られない内は、売買契約それ自体は成立するものの「契約の効力が生じない」こととなる。売買契約の効力が生じないということは、売買代金の支払いがあったか否かにかかわらず、当該農地の所有権は未だに売主に留保されることとなるため、買主としては、所有権移転登記を得ることができないのである。
ところで、不動産登記法は、登記の順位の先後によって対抗関係を決するものとしている。つまり、“早い者勝ち”というわけだ。買主としては、将来、農地法の許可が得られた場合にはじめて売買契約の効力が生じ(=所有権を取得し)、所有権移転登記の申請が可能となる。しかし、許可が得られるまでの間に、登記簿上の所有権者である売主が当該土地を農家資格のある第三者に売却し所有権移転登記されたり、借金の担保として抵当権設定登記されたりした場合には、買主の所有権はこれらの登記に順位で負けてしまう。そこで、本件のような仮登記が、実務上も頻繁に利用されることとなる。仮登記には、“順位保全効”があるため、将来、許可が得られた買主より本登記の申請がなされた場合、仮登記の際の順位が確保できるし、この仮登記に順位で負ける登記の一切は、本登記申請の際に抹消請求が可能となる。
本件の相談事例も、昭和34年当時、何らかの理由でAからBへの売却がまとまったものの、農家資格を有さないBは所定の許可を得られず、やむなく仮登記にて順位保全を行ったとの推測が立つ。しかし、相談者を含む関係者全員は、Bの名前を耳にしたことすらないとのこと。A本人が他界した今となっては、売却にいたる事情、売買代金授受の有無、AとBの関係等、詳細な事情の把握は困難を極める。そもそも、Bは現在も健在であるのか、健在であるとしてどこに居住するのか、問題解決のためにはこの辺りから解きほぐしていく必要がある。どうやら、難事件の様相を呈してきた・・・

3 論点整理
希望する名義変更を実現するために、乗り越えなければならない論点を整理すると次のとおりとなる。
@)Aの死亡に伴う遺産分割協議
A)Bの生死の調査、並びに生存する場合の居住地の調査
B)仮登記抹消へのB(またはBが死亡している場合は、Bの相続人全員)の協力の可否
C)B)の協力が得られない場合に、仮登記を抹消できるか?できるとして、その具体的方法
D)Bが生存し、かつ行方不明である場合、B)C)にはどのような障害が生じるか?
E)除外は必要か?農地法の許可は得られるか?
この内、E)は私の専門外。「駐車場の拡張」という理由で5条の許可は得られそうだが、正式な調査は専門家に委ねるとし、以下では、@)〜D)の論点を順に潰していくこととする。
@)Aの死亡に伴う遺産分割協議
本件の土地は、昭和34年12月5日にBに条件付で売却されているが、効力要件である農地法の許可が得られていない状態であり、売買代金授受の有無にかかわらず所有権者は未だAである。
 また本件では、条件付売買契約の締結と同時に、AはBのために農地法所定の許可申請行為に協力する義務を負担し、逆にBはAに対し許可申請協力請求権を有していると解することができる(最判昭35.10.11・判例時報241−26)。
そこで、Aの死亡に伴い、本件土地の所有権並びにBに対する許可申請協力義務は相続財産を構成することになるのだ。また、仮登記が抹消できるとしても、登記法上は死亡者を申請人とすることができないことは皆様もご承知のとおりであるから、早速、遺産分割協議に着手するよう相談者に指導した。
数日の内に、C(相談者の兄)名義とする旨の協議が整ったとの連絡を相談者から頂いた。
A)Bの生死の調査、並びに生存する場合の居住地の調査。
B)仮登記抹消へのB(またはBが死亡している場合は、Bの相続人全員)の協力の可否
Bの生死は、本件解決のための重要なポイントのひとつとなる。Bが死亡している場合、先に説明したBのAに対する許可申請協力請求権が相続の対象となるため、相続人全員の居所を調査する必要がある。また、Aとの接点もなく、事情もまったく理解していない相続人らから、本件に対する協力を得ることは至難である。
ところで、この手の調査を一般市民が手掛けようとする場合、「個人情報」の壁に阻まれ戸籍等の交付が拒否される。一方、司法書士のような一定の資格者に対しては、業務遂行上の必要性から職権請求が認められている。無論、無条件に認められるわけではなく、提出先・使用目的・使用方法等が厳格に取り決められている。余談だが、近年では、職権請求を不正に利用していた司法書士や行政書士が、懲戒処分を受けたり刑事告発されたりする事案が相次いでいる。
本件では、私の調査の結果、Bの生存が確認できたので、住民票上で判明するBの居所宛てに「A相続人C」名義で本件の事情を説明する文書を配達証明付の書留郵便にて発送してみることとした。Bからどんな回答があるのか、相談者はひどく心配されている様子であったのだが、やがて発送文書は「宛所不明」を理由に返送されてしまったのである。Bは住民基本台帳の変更手続を経ないまま、居所を移転しているようだ。Bの協力を得て仮登記を抹消する道は途絶えてしまった。
C)B)の協力が得られない場合に、仮登記を抹消できるか?できるとして、その具体的方法
C)−@ 裁判手続の利用
Bの協力を得ることなく仮登記を抹消するためには、裁判手続を利用するしかない。不動産登記法は、登記によって利益を得る者(本件ではC,「登記権利者」と呼ぶ)と登記によって権利を失う者(本件ではB,「登記義務者」と呼ぶ)とが、共同して登記申請しなければならないと定める(同60条)。つまり、代理人である司法書士は、C・B双方からの委任状を頂く必要があるのだ。
しかし、本件のように一方当事者から委任状を取寄せることが不可能なケースは、実際の事案でも多々みられる。本件のような行方不明の場合に限らず、一方当事者が何らかの理由で登記申請への協力を拒否している場合等も同様である。このような場合を想定し、法は、共同申請すべき当事者の内の一方に「登記手続をすべきことを命ずる確定判決」があり、その判決書及び判決確定証明書を登記申請書に添付できる場合は、一方当事者による単独申請を認めている(同63条1項)。裁判所が「登記せよ」と命じているわけだから、委任状がなくても構わないということだ。
本件でも、CからBに対し訴訟を提起し、「仮登記の抹消登記手続をせよ」との判決を受けることで、Bの協力なしに仮登記の抹消が可能となるのだ。
C)−A 理論武装
しかし、これですべてが解決したわけではない。訴訟を提起し「仮登記の抹消登記手続をせよ」との判決を得るためには、裁判官に対し、仮登記が抹消されることに法的理由があることを認めてもらわなければならないのである。
そもそも、A・Bは、双方納得の上で仮登記の申請を行ったのだ。それを今になって、A(若しくはAの相続人ら)が、「買ってくれる人が出てきた」という一方的理由によって抹消を求めているのである。Bの立場に立てば「勝手なことを言うな」という主張ももっともである。仮にBが売買代金を支払い済みである場合には、なおさらのことだ。
相談者の希望を実現するためには、裁判官を納得させるだけの法的理論武装が不可欠となる。その頃、私の頭では、民法の「時効」に関する条文が浮かび上がっていた。
C)−B 時効の主張は可能か
民法は「債権は十年間之を行はさるに因りて消滅す」と規定する(同167条1項)。消滅時効の期間を定めた条文だ。
消滅時効とは、権利の不行使が一定期間継続した場合、もはやその権利を行使できなくなるという制度のことで、「権利の上に眠る者は保護しない」という考え方による。時効期間は対象となる権利によって様々であるが、一般に債権は10年と定められている。
本件では、どのような権利が消滅時効の対象になるのだろうか?また、そもそも消滅時効の主張は可能なのだろうか?実務では、このような疑問が頻出するが、その都度参考となるのが過去の判例である。
先に、BはAに対し許可申請協力請求権を有していると述べた(最判昭35.10.11・判例時報241−26)。請求権は債権の一種であるから、民法167条の規定により、許可申請協力請求権という権利が時効によって消滅する。そうすると、Bは農地法所定の許可申請をすることができなくなるため、本件の条件付売買契約は条件が成就しないこととなる。結果として本件の仮登記は実益がなくなり、抹消登記が可能となりそうだ。判例集を紐解くと、同様の事案で消滅時効の主張が認められている(最判昭50.4.11・判例時報788−61)。
C)−C 信義則違反? 権利濫用?
これで行けるか?念のため、関連する判例を調査していくと、気にかかる事例が紹介されていた。買主の許可申請協力請求権が10年の消滅時効にかかることはそのとおりなのだが、売主(本件のAまたはC)が消滅時効を主張することは「信義則違反(民法1条2項)、権利濫用(同条3項)」に該当することがあるとの判例だ(東京高判昭60.3.19・判例タイムズ556−139,同旨に大阪高判平9.7.16・判例時報1627−108)。
そうすると、注目しなければならないのは、ふたつの高裁判決の事案では、どのような具体的事情が存在したために、売主による消滅時効の主張が「信義則違反、権利濫用」に該当し許されなかったのかという点である。この点を十分に検討しないまま訴訟に踏み切ると、後で手痛い思いをさせられることとなるし、相談者に対する訴訟過誤にもなりかねない。
詳細は出典の文献に譲るが、いずれの事案も、買主が仮登記を申請した土地に対しその後も関心を持って積極的な行動を取っており、何らかの金銭的負担にも応じていること、これらの事情を売主自身も認識していること等の事情を、「信義則違反、権利濫用」の根拠に掲げている。
本件ではどうか?そもそも、Bは行方不明者であるから、訴訟に出頭する可能性は極めて低い(次項に詳述)。また仮に出頭して、信義則違反等の反論がなされた場合も、現段階までの事情聴取で判明している @該当の土地が、少なくとも10年程度、隣接する2件の店舗の駐車場に供せられていること、A固定資産税は継続してAが支払っており、Aの死亡後はCが納税していたこと、BBという人間を関係者の全員が知らず、該当の土地に現われたこともないこと等の事実が積み重なれば、「やってみる価値はある」との相談者に対する私の回答は誤っていないものと考える。
あとは、裁判官の判断を待つしかない。
D)Bが生存し、かつ行方不明である場合、B)C)にはどのような障害が生じるか?
ところで、行方不明者を相手に訴訟を提起することは可能かとの疑問を抱く方も多いのではないだろうか?自身の関与のないところで判決が言渡されるということは、深刻な不利益がもたらされる。このため民事訴訟法は、「特別送達」と呼ばれる特殊な郵送方法を定め、訴状が相手方に届いたか否かを厳格に判断している。
一方、行方不明者のように送達が不可能な場合、「公示送達」という方法が用意されている(民事訴訟法110条)。具体的には、裁判所の敷地内に備え置かれている掲示場に、呼出状を2週間掲示することで、相手方に送達されたものと扱う方法である。無論、相手方は公示送達による呼出があることを知ることなく、訴訟は結審される事がほとんどである。このため、公示送達がなされるまでには、裁判所から訴訟を提起した者に対し、考えられるあらゆる調査と、その旨の報告書の提出が求められるのである。
本件は本稿執筆時において、相談者らからの正式な訴訟着手への委任を待っている段階であるが、Goサインが出た場合、まずはBの住民票上の住所地に赴き、近隣住民からの聴き取りを始める必要がありそうだ。

4 本件より学ぶ教訓
市街化調整区域内での農地売買契約では、本件のようないわゆる仮登記売買が割合とよく利用されているのではないだろうか。私も何度か、このような仮登記申請に携わっている。近々非農地への転用が可能であるとか、許可を得られる可能性が高い等の事情がある場合は問題ないが、本件のように、当面の間許可が得られないような場合、売主から消滅時効を主張される可能性は否定できない。これによって買主が仮登記を失った場合、宅地建物取引業主任者としての説明責任や業務上の過失責任を問われかねない。
時効という法的問題が介在することを十分に説明することはもちろんのことであるが、時効の主張が「信義則違反、権利濫用」として退けられた事案のポイントを十分に理解し、買主にアドバイスをすることも求められよう。
また、10年の時効期間を中断させるために、契約から一定期間が経過した都度、売主自身に「許可申請協力義務がある」旨の確認書等への署名を求めることも有効である。このような行為は「債務の承認」と呼ばれ、時効の中断事由のひとつに掲げられている(民法147条3号)。時効が中断した場合、時効期間は中断事由の生じたときから新たにスタートするものと考えられているからである。

*本稿は、宅建協会浜松支部機関紙に寄稿した原稿の転載であり、引用条文等は掲載当時のものです。


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