「敷金返還請求訴訟」A 〜原状回復特約の有効性 

1 敷金の法的性質(前号の確認)
前号に引き続き、今号も敷金問題を取り上げます。前号は、敷金の性質と原状回復費の負担割合(賃借人負担か賃貸人負担か)を中心にご説明しました。これを簡潔に整理すると、次のとおりまとめることができます。
@ 敷金は、原則として全額が賃借人に返還される
A 建物の自然的な劣化・損耗(経年劣化=自然損耗)による価値の減少は、敷金から控除できない(賃貸人負担)。
B 賃借人の通常の使用により生ずる損耗等(通常損耗)による価値の減少は、敷金から控除できない(賃貸人負担)。
C 敷金から控除できるのは、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他の通常の使用を超えるような使用による損耗等に限られる(賃借人負担)。
具体的な損耗・毀損がどれに該当するかについては、前号でも紹介した「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(国土交通省住宅局・財団法人不動産適性取引推進機構)に詳細に整理されており、大変参考になります。次に列挙したものは、いずれもガイドラインで賃貸人負担と定められているものです。現実に、これらを敷金から控除しているケースでは、賃借人から後日の返還請求がなされる余地があることにご注意ください。
家具の設置によるカーペットのへこみ,日焼けによる畳の変色,フローリングのワックスがけ,タバコのヤニによるクロスの汚れ,テレビや冷蔵庫の後部壁面の黒ずみ,絵画やポスター跡のクロスの変色や画鋲の穴,ハウスクリーニング,鍵の取り替え(注・賃貸人には、安全な住居を提供すべき賃貸借契約上の義務があるため)

2 原状回復特約の有効性
ところで、現実の賃貸借契約の多くに「原状回復特約」が盛り込まれているものと思われます。原状回復特約とは、損耗・毀損が自然損耗や通常損耗に該当する場合であっても、特約により賃借人に修繕義務や原状回復義務を負わせる条項のことです。
(1)民法の原則
契約の大原則を定めた法律が民法です。民法91条は「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う」と定めています。ここにいう「公の秩序」に関する規定は「強行法規」と呼ばれ、強行法規に反する契約は、たとえ当事者間での合意が成立していても無効とされます。所有権や担保権等の物権法は強行法規と解釈されていますし、利息制限法の金利を超えて利息を取る契約も強行法規違反により無効です。
一方、「公の秩序に関しない規定」は「任意規定」と呼ばれます。債権法の多くは任意規定と解釈されており、賃貸借契約もこれに含まれます。一般に「契約自由の原則」と呼ばれており、この原則が貫かれた場合、賃貸借契約に関する当事者間の特約は、原則としてすべて有効となります。その結果、自然損耗や通常損耗分を賃借人負担とする旨の原状回復特約がある場合、賃借人は、敷金からの控除に対して異議を述べることができないこととなるわけです。
(2)法による修正
民法が契約自由の原則を謳う背景には、「契約当事者が対等」という大前提が存在します。契約の対象となる商品やサービスに関する知識や情報、契約締結に至るまでの交渉力等、あらゆる点において両当事者が対等であるが故に、得られる結論が一方にとって不合理なものとなるはずはなく、自由に取り決められることこそが平等であるとの考え方に起因するのです。
しかし、実社会においては、両当事者が対等な立場で契約が交わされるのは極めて稀なケースと言えるでしょう。両者の立場や能力に格差があればあるほど、契約自由の原則が契約弱者に対して様々な不合理を生じさせてしまうのです。
そこで、対等関係を前提とした民法ではカバーできない現実社会の様々な契約を対象とし、契約当事者の「格差」を前提とし、「格差」から生じる不合理・不利益を是正するための法律が数多く存在しています。これらの法律は、一定のカテゴリーに属する集団に対し、法が、契約自由の原則を修正して一定の保護を与える趣旨のものです。読者の皆様に馴染みの深い借地借家法は、賃貸人に対し弱い立場を強いられる賃借人の保護を目的とする法律であり、第9条では「この節の規定に反する特約で借地権者に不利なものは、無効とする」と定め、民法の契約自由の原則を修正しています(片面的強行法規と呼ばれます。借家契約につき第16条)。ほかにも、労働者を保護するための「労働基準法」、悪質商法に騙された者を保護するための「特定商取引法」(いわゆる「クーリング・オフ」は同法によって規定される契約解除権です)、下請業者を保護するための「下請代金支払遅延等防止法」、消費者と事業者との間の契約について消費者を保護するための「消費者契約法」等があり、いずれも民法が定める契約自由の原則を修正した民事特別法として位置付けられることになるのです。
(3)原状回復特約の検討
では、本稿が取り上げる原状回復特約は、どの法律によって契約自由の原則が修正されているのでしょうか。賃貸借契約というとすぐに借地借家法が頭に浮かびますが、借地借家法には、賃借人の原状回復義務や敷金の性質について規定した条文はありません。実は、前項で触れた「消費者契約法」の適用が問題となるのです。

3 消費者契約法と原状回復特約
(1)法律の概要
消費者契約法は、平成13年4月1日に施行されたまだ新しい法律です。消費者契約法は「消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差」を前提に「消費者の利益の擁護を図り、もって国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的とする」法律です(第1条)。
この法律の対象となるのは、@)平成13年4月1日(法施行日)以降に締結された、A)「事業者」と「消費者」との間の契約です。「事業者」とは「法人その他の団体及び事業として又は事業のために契約の当事者となる場合における個人」(第2条第2項)、「消費者」とは「個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く)」(第2条第1項)とそれぞれ定義されます。
(2)不当条項は無効
消費者契約法第10条は、消費者の利益を一方的に害する条項を「不当条項」とし、不当条項に該当する特約を無効とすることで、民法の契約自由の原則を修正しています。当事者間の特約が同条によって無効とされるためには、次の各要件を備えていることが必要です。やや専門的になりますが、原状回復特約への当てはめの場面で不可欠な情報ですので、簡単に指摘しておきます。

@)−ア 民法、商法その他の法律の
  −イ 任意規定と比較して
  −ウ 消費者の権利が制限されている        
  −ウ’消費者の義務が加重されている
 上記の条項であって、
A)−ア 信義誠実の原則(民法第1条第2項)に反し
  −イ 消費者の利益を一方的に害するもの


この条文は、ここ数年、様々な分野で注目を集めています。実際の裁判で10条が適用され、不当条項として無効とされたものの例として、学納金支払条項(大学入試合格後、現実に入学するか否かにかかわらず一定の時期までに入学金や授業料の一部を支払わせる条項)や、英会話教室等の中途解約手数料を定めた条項等が挙げられます。
(3)原状回復特約への当てはめ
@ 契約日の検討・・・(1)−@)
消費者契約法は、平成13年4月1日以降に締結された契約に限って適用されますので、同日以前の契約については適用されません。但し、当初契約が同日以前であっても、同日以後に合意更新された契約については消費者契約法の適用を受けることに注意が必要です(大阪高判平成17年1月28日判例時報1894号19頁)。敷金返還が問題となるのは借家契約が多いと思われますが、そのほとんどは2年程度の契約期間を定め、これを更新していく形式を採っているものと思われます。よって、契約期間満了ごとに更新契約を行っている場合、ほとんどのケースで消費者契約法の適用を受けることになるでしょう。
なお、合意更新ではなく、法定更新の場合に消費者契約法の適用があるかを明確に判断した判例は、筆者の知る限り見受けられません。今後の動向に注目したいところです。
A 当事者の検討・・・(1)−A)
まず、借主が消費者であることが必要です。個人事業主あるいは法人が事務所や工場を借りるような契約には、消費者契約法の適用はありません。逆に借主が個人事業主であっても、契約目的が居住用のアパートである場合のように事業とは無関係である場合、消費者契約法が適用されます。
次に、貸主が事業者であることが必要ですが、不動産賃貸は、商法第502条第1号によりそのほとんどが商行為に該当しますので、消費者契約法の適用を受けることとなります。
B 不当条項の検討@・・・(2)−@)
前号あるいは冒頭で説明したとおり、借主は建物の自然損耗や通常損耗に関する原状回復義務を負わないとするのが、民法や判例の考え方です。よって原状回復特約は、民法第483条・589条等の任意規定と比較し、借主の原状回復義務の範囲を加重する特約と評価することができ、(2)−@)の要件を満たすこととなります。
C 不当条項の検討A・・・(2)−A)
この要件は、やや専門的になりますが、「事業者の反対利益を考慮してもなお、消費者と事業者との情報格差・交渉力格差の是正を図ることが必要であると認められる場合」を意味し、具体的には「契約条項によって消費者が受ける不利益とその条項を無効にすることによって事業者が受ける不利益とを衡量し、両者が均衡を失していると認められる場合を意味する」と考えられています(日本弁護士連合会消費者問題対策委員会編『コンメンタール消費者契約法』172頁(商事法務研究会))。
この点を解釈するについて重要なことは、敷金は全額返還が原則であるという点です。そもそも、自然損耗や通常損耗に関する原状回復費は、月々の賃料によって賄われているとするのが判例の立場です。そうすると、原状回復特約が有効である場合、借主はあたかも賃料の二重払いを強いられる結果となります。一方で貸主は、既に自然損耗や通常損耗に関する原状回復費用として賃料の一部を受領しているわけですから、原状回復特約が無効である場合も、何らの不利益が課される訳ではないことになります。
以上の検討の結果、少なくとも居住用建物に関する賃貸借契約においては、たとえ借主が原状回復特約の存在を知って契約書に署名捺印した場合でも、その特約は、消費者契約法第10条によって無効とされる可能性が極めて高いと結論付けることができるのです。

4 まとめ
二度にわたって敷金をテーマに取り上げました。「敷金は原則として全額返還されるもの」という認識は、貸主と借主の間で大きなズレがあるのも事実です。貸主サイドからはよく「契約書に書いてある」という反論を耳にしますが、消費者契約法10条の前では通用しないことがお分かり頂けたのではないでしょうか。
大家さんから多くの物件を預かられている不動産業者の皆さんとしても、現実に多くの敷金返還請求訴訟が提起され、その多くは借主の勝訴的和解によって終結していることをご認識いただき、また大家さんにもご説明いただき、契約条項の見直しをする時期が来たのではないかと感じています。
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